幕末維新の現場を歩く <No.09 会津>
NHK大河ドラマ『八重の桜』
幕末維新の現場を歩く京都>NHK大河ドラマ『八重の桜』2
『八重の桜』の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking 
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2013大河ドラマ『八重の桜』の現場を歩く2(京都編)
 〜行ってみないと、わからない!〜
  関連人物:新島八重 まとめ済みインデックス

第 1話〜第29話会津編はコチラ

       〜舞台は明治へ〜
第30話『再起への道』
第31話『離縁のわけ』
第32話『兄の見取り図』
第33話『尚之助との再開』
第34話『帰ってきた男』
第35話『襄のプロポーズ』
第36話『同士の誓い』
第37話『過激な転校生』
第38話『西南戦争』
第39話『私たちの子ども』
第40話『妻のはったり』
第41話『覚馬の娘』
第42話『襄と行く会津』
=最終更新日2013.10.20=
所在地:京都

 2013年のNHK大河ドラマは会津若松出身である「新島(山本)八重」がヒロインです。
このドラマによって、3.11による原発事故など東北地方の早期復興を望み、観光業を中心に活気づいてもらうことを願います。
 当サイトでは1話ごと、既に取材済みのネタを中心に、ドラマの中で起こった事件、逸話などの現場を紹介します。とにかく
    「行ってみないとわからんしょ?」

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第42話『襄と行く会津』

@清水屋旅館跡・・・福島県会津若松市

明治15年、新島襄八重夫妻は、休養を兼ねて会津へ旅にでます。
伊勢時雄(横井小楠の長男)、山本覚馬の次女)夫妻とともに。
会津へは戊辰戦争で敗北の屈辱を受けて立ち去って以来です。
その際、宿泊していたのが「清水屋旅館」です。
七日町通り(国道252号)沿い建っていましたが、既に取り壊されています。
現在は大東銀行会津支店であり、面影はありません。
しかし、案内説明板があるとともに、レトロな面影を残す七日町通りの散策はオススめです。

写真は、左は、現在の七日町通り、清水屋旅館跡。右は明治時代の七日町通り(会津新撰組記念館内展示写真)

         
【現場へのアクセス】
会津若松市内巡回バス、あかべぇ、ハイカラさん「七日町白木屋」下車徒歩スグです。
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A会津の山本家・・・福島県会津若松市

会津に11年ぶりに戻った新島八重は、生まれ育った生家、山本家を訪れます。
しかし、戊辰戦争で傷ついた後は、お城も取り壊され、大きく変貌していました。

【現場へのアクセス】
レンタルサイクルがオススメです。車では駐車場所がなく前の道も広くないので厳しいです。
Iヶ城の西側の住宅地内にありIヶ城北出丸より自転車で約10分。
周遊バスの停留所は近くにありません。
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第41話『覚馬の娘』

@同志社女学校・・・京都府京都市

新島八重の働きかけにより、女子教育のための私塾が建てられました。
現在の京都御苑内、京都迎賓館の敷地内に建てられた女子塾は、現在の同志社女子大学の前身です。
現在は、京都御苑、今出川御門の向かい側に同志社女子大学今出川キャンパスがあります。
赤レンガ調のとても美しい校舎です。

また、隣の同志社大学は幕末期の薩摩藩邸があった場所で、薩長同盟のゆかりの地でもあります。

         

【現場へのアクセス】

京都市営地下鉄烏丸線「今出川」駅下車徒歩約5分です。
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第40話『妻のはったり』

@京都府議会・・・京都府京都市

京都では初めての選挙に選出された議員により、第1回京都府議会が開催されました。
開催された会議は、現在の旧京都府庁本館の地にあった京都中学校正堂でした。

府議会で、山本覚馬は、第1回京都府議会議長に選ばれました。

現在の旧京都府庁本館は、明治37年に竣工したルネサンス様式の建物です。
昭和46年まで本庁舎として使用され、平成16年に国の重要文化財に指定されました。

幕末の混乱期には、会津藩主、松平容保が務めた「京都守護職」の屋敷があった場所です。

【現場へのアクセス】
京都守護職屋敷跡に建つ旧京都府庁本館には、
京都市営地下鉄烏丸線「丸太町」下車徒歩約10分です。

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第39話『私たちの子ども』

@新島夫妻の新居・・・京都府京都市

新島襄八重夫妻の新居が完成しました。
外観は洋風ですが、室内には和風の家具も取り入れたれた、和洋折衷様式です。
現在では、1階内部が公開されており、当時の生活様式を見ることができます。

<<注意>>現在(平成25年9月)は、事前申し込みが必要です。

【現場へのアクセス】

新島旧邸は「河原町丸太町」交差点の近くで、地下鉄だと最寄り駅はありません。
京都市バス
63、93、202、204、10、205系統ほか「河原町丸太町」バス停約徒歩5分

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第38話『西南戦争』

@木戸孝允(たかよし)病死 ・・・京都府京都市

「維新の三傑」のひとり、木戸孝允が京都で病死します。明治10年
死亡したのは、西南戦争勃発後,九州各地での激戦が続く中でした。
終焉の地となった京都邸宅跡は、現在の旅館「石長松菊園」「お宿いしちょう」です。

なお、墓所は、
@京都霊山護国神社(幕末志士たちと一緒に眠りたいという遺言)と
A木戸神社(生まれ故郷の山口市内の邸宅跡)の2か所に祀られています。

【現場へのアクセス】
木戸孝允の終焉の地となった京都邸宅跡には、
京都市営地下鉄東西線「京都市役所前」駅より徒歩約10分です。
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A城山(西南戦争激戦地)・・・鹿児島県鹿児島市

士族の不満がマックスとなりました。
そして西郷隆盛率いる薩摩軍が熊本鎮台(政府の軍隊)がおかれた熊本城への攻撃を開始しました。
その後、九州各地で攻防戦が繰り広げられ、薩摩軍は鹿児島県城山まで追い詰められました。
城山は、西南戦争最後の激戦地となりました。
現在の城山は頂上に展望台があります。(標高は100mほどなので歩いて登れます)
鹿児島市内、噴煙をあげる桜山を一望できる鹿児島屈指の観光地です。
【現場へのアクセス】

城山の展望台は、
鹿児島市内巡回バス(カゴシマシティービュー)、城山コースで「城山」下車。
展望台の駐車場に停留所があります。
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B西郷隆盛終焉の地・・・鹿児島県鹿児島市

西郷隆盛の最後はこの城山でした。
政府軍の銃弾を受け、「ここらでよかっ」と切腹し、別府晋介が首を落とし介錯しました。
城山の中腹には、最後に陣を置いた洞窟が残されています。

【現場へのアクセス】

西郷隆盛終焉の地、洞窟は
鹿児島市内巡回バス(カゴシマシティービュー)、城山コースで「西郷洞窟前」下車。
バスのドライバーが、車内より説明してくれます。
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C西郷隆盛、桐野利秋墓所(南洲公園)・・・鹿児島県鹿児島市

西郷隆盛の戦死により、この城山で西南戦争は終結しました。
西南戦争で犠牲となった薩摩勢の魂が、西郷隆盛らと中心に祀られています。

会津戦争終結による鶴ヶ城開城の官軍取りまとめ役だった桐野利秋(中村半次郎)。
西郷隆盛とともに薩摩軍として政府軍と戦うも、戦死しこの地に祀られています。
城山の中腹には、最後に陣を置いた洞窟が残されています。

【現場へのアクセス】

西郷隆盛ら薩摩軍墓所は
鹿児島市内巡回バス(カゴシマシティービュー)、城山コースで「南洲公園入口」下車約5分。
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D大久保利通暗殺・・・東京都千代田区

明治11年5月。「維新の三傑」のひとり、大久保利通が暗殺されました。
切り殺されたのは、現在の紀尾井坂付近です。
不平士族を代表する西郷隆盛の討ち死した8か月後のことでした。
大久保利通含め、西郷隆盛、木戸孝允の「維新の三傑」はこの1年で失いました。

【現場へのアクセス】

大久保利通暗殺された紀尾井坂には、
東京メトロ有楽町線「麹町」駅徒歩約5分です。
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第37話『過激な転校生』

@明治政府に対する士族の反乱・・・福岡県朝倉市山口県萩市
明治9年になると、士族(かつての武士)の不満が高まってきます。
日本全国で、きな臭い反発のパワーがいつ暴発しておかしくない状態でした。
これは、明治新政府による大改革(廃藩置県、廃刀令など)により、武士の特権が剥奪されたためです。
熊本『神風連の乱』、福岡『秋月の乱』、山口『萩の乱』など西日本を中心に反乱が発生しました。
これは、後に、西郷隆盛率いる薩摩軍へ飛び火して、西南戦争へと再び内戦へ至ります。

【現場へのアクセス】

『秋月の乱』が起きた福岡県朝倉市の秋月は、
秋月城址を中心に、春は桜、秋は紅葉でたいへん美しい城下町です。
甘木鉄道甘木駅から甘木観光バス秋月行きで20分。公共交通機関ではちょっと不便です。

山口『萩の乱』が起きた山口県萩市は、
長州藩、吉田松陰など幕末を動かした歴史深い城下町です。
萩の乱の激戦地となった萩往還沿いの慰霊碑など、歴史的史跡が多数楽しめます。
萩の乱の首謀者、前原一誠をを祀る慰霊が残されています。
JR山陰本線萩駅より徒歩約30分。
電車の運行本数も極めて少なく、公共交通機関はキビシいです。

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第36話『同士の誓い』

@西郷隆盛が開いた私学校・・・鹿児島県鹿児島市

朝鮮出兵で政界内で大久保利通らと意見が折り合わず、西郷隆盛は政界から退きました。
東京から地元、鹿児島に戻り、この私学校を開き、青少年の教育を行いました。
全国では、明治時代になり、武士の特権が剥奪された士族たちの不満が高まって行きます。
その状況下で、日本最後の内戦、西南戦争がこの私学校暴発からはじまります。
ドラマの中では、その士族たちの暴発を恐れ、同じ薩摩藩出身の大山巌(反町隆史さん)が心配になり、
鹿児島の西郷隆盛(吉川晃司さん)のもとを訪れていました。

私学校は、城山の麓の鹿児島医療センターあたりで、
西南戦争の弾丸跡がついた石塀が残されています。

【現場へのアクセス】

私学校跡には
鹿児島市電(路面電車)1・2系統「市役所前」下車、城山方面へ徒歩約10分。
または、鹿児島市内周遊バス(シティービュー)城山・磯コース「薩摩義士碑」前下車徒歩3分です。

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A新島旧邸(同志社英学校仮校舎)・・・京都府京都市

キリスト教の学校設立が、仏教色が濃い京都で難航します。
何とか、新島襄が開設したのが同志社英学校で、現在の同志社大学の前身です。
開校当時の学舎は、現在の新島旧邸でした。
外観は洋風、内部は和風造りの明治時代の特色を伺わせる珍しい邸宅です。
内部は一般公開されおり、当時の生活様式を垣間見ることができます。

<<注意>>現在(平成25年9月)は、事前申し込みが必要です。

【現場へのアクセス】

新島旧邸は「河原町丸太町」交差点の近くで、地下鉄だと最寄り駅はありません。
京都市バス
63、93、202、204、10、205系統ほか「河原町丸太町」バス停約徒歩5分

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第35話『襄のプロポーズ』

@三郎、戦死の地(鳥羽伏見の戦跡)・・・京都府京都市

川崎尚之助が亡くなった一報が京都の八重に届きます。
悲しみで途方に暮れていた八重を新島襄がピクニックに強引に誘います。
訪れたところは、八重の弟、山本三郎が戦死した鳥羽伏見。
ここで襄は「辛いことも過去と向き合った方が良いのでは」と。
回想シーンで、川崎尚之助、父権八、弟三郎の戦ぶりが蘇ります。
戦地の土に目を閉じて何かを感じた八重は、目を開け新たな一歩へ進む決意をします。
そして、襄のプロポーズを受けることを決めました。

京都の鳥羽伏見には、戊辰戦争の発端となった激戦地で、戦跡が現在でも残っています。
 @開戦の地となった、小枝橋
 A激戦地となった小枝橋付近の鳥羽離宮公園
 B薩摩軍本陣がおかれた城南宮
                 などが、みどころです。

【現場へのアクセス】
鳥羽離宮公園、小枝橋へは、
京都市営地下鉄烏丸線、近鉄京都線「竹田」駅より徒歩25分です。

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第34話『帰ってきた男』

@築地軍艦操練所・・・東京都中央区

帰国した新島襄。
山本覚馬と新島襄が京都再建に向けて会いますが、ドラマでは2回目です。
第1話『ならぬことはならぬ』で江戸、築地軍艦操練所で顔を合わしています。
新島襄は、覚馬が、額に傷があることを覚えていたことに、その記憶力に驚きます

【現場へのアクセス】
東京メトロ日比谷線、都営地下鉄浅草線「東銀座」駅より徒歩約5分。

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第33話『尚之助との再開』

@女紅場(にょこうば)・・・京都府京都市

ドラマの中で、八重が女紅場で働きながら英語を学んでいます。
女紅場は、明治5年に設立された女子教育のための学校です。
現在の丸太町橋西詰め付近にありました。
学校の遺構などは残っていませんが、橋の脇に石碑が建てられ、ここから鴨川の河川敷に下りられます。

【現場へのアクセス】
京阪鴨東線「神宮丸太町」より下車。鴨川にかかる丸太町橋を渡り徒歩約5分です

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A新橋駅・・・東京都港区

ドラマでは、山本覚馬八重は京都から東京へ向かいます。
明治5年に開通した日本最初の鉄道である横浜からを汽車に乗って、新橋駅に到着しました。
現在では、汐留の高層ビル群のなかに、当時の場所に復元した駅舎が記念館としてあります。

【現場へのアクセス】
JR新橋駅より徒歩約5分。

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B勝海舟赤坂邸跡・・・東京都港区

ドラマでは、山本覚馬八重は京都から東京へ向かい、勝海舟邸を訪れます。
川崎尚之助が詐欺事件の被告となって東京、鳥越で暮らしていることを勝海舟より教わります。
この訪れた勝海舟邸は港区赤坂にありました。
現在では、区民福祉施設で石碑と説明板が建っています。
勝海舟はこの屋敷に明治5年より暮らしていました。
近くには、それ以前に住んでいた邸宅跡もあり、赤坂を好んでいたようです。

【現場へのアクセス】
東京メトロ千代田線「赤坂」駅より徒歩約10分

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第32話『兄の見取り図』

@京都府庁が置かれた二条城・・・京都府京都市

ドラマの中で、八重が覚馬を背負って京都府庁へ入りました。
京都で新しい生活を送っていた山本覚馬が遣えていた京都府庁は当時、二条城内に置かれていました。
現在のレンガ造りの京都府庁旧館は明治37年完成であるため、
山本覚馬新島襄が活躍した時代の後、共用されていたことになります。

【現場へのアクセス】
京都市営地下鉄東西線「二条城前」下車徒歩約15分

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第31話『離縁のわけ』

@岩倉具視東京邸宅・・・東京都千代田区

東京遷都により、政治の舞台も京都から東京へ移りました。
ドラマの中では、岩倉具視邸へ木戸孝允(及川光博さん)、西郷隆盛(吉川晃司さん)、大久保利通(徳重聡さん)、大山巌(反町隆史さん)が集まり、これからの日本のあり方について話し合っていました。
廃藩置県など武士の時代を幕引く、大改革を行っていきます。
岩倉具視邸跡は、江戸時代の忍藩(埼玉県行田市)松平下総守邸跡に建てられました。
現在の馬場先門橋北側の皇居外苑一帯付近です。

【現場へのアクセス】
皇居外苑、馬場先門には、
東京メトロ千代田線「二重橋前」駅下車徒歩約5分です。

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第30話『再起への道』

@萱野権兵衛、自刃の地・・・東京都港区

家老、萱野権兵衛は、前藩主松平容保の存命に尽くすため、自ら、会津戦争の全責任を負います。
自刃したのは、会津藩と血縁関係のある飯野藩(現在の千葉南房地方)保科家の広尾下屋敷です。

【現場へのアクセス】
保科藩広尾下屋敷跡は、
現在の天現寺橋交差点、広尾公園付近です。
東京メトロ日比谷線広尾駅より徒歩5分です。

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京都幕末史跡地図
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 京都にある幕末維新の現場を歩く
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2013特別企画:
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