幕末維新の現場を歩く <No.09 会津>
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幕末維新の現場を歩く>会津>米代 | ||
米代(会津若松市)の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking |
|日新館跡|天文台跡|山本覚馬・八重生家跡| |
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日新館跡 | ||
〜会津藩校「ならぬことはならぬものです」〜 | ||
関連人物:田中玄宰・吉田松陰 | ||
所在地:福島県会津若松市米代1−2−4 | ||
鶴ヶ城の西側、現在の米代1丁目に会津藩校、日新館が設けられていた。 当時の上級藩士の子は、10歳で入学し、礼法、書学、武術などを学び、白虎隊の少年たちもここで教育を受けた。 また、吉田松陰も東北遊学の際、見学をしている。 。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。 2013特別企画: 大河ドラマ『八重の桜』の現場を歩く 。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。 |
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什の掟(会津武士の心構え) 一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ 二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 三、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ 四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ 六、戸外で物を食べてはなりませぬ 七、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ ならぬことはならぬものです 現在でも、この掟は「あいづっ子宣言」として、児童教育に取り組んでいる。 |
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日新館天文台跡 | ||
〜現存する天文台跡〜 | ||
関連人物:田中玄宰 | ||
所在地:福島県会津若松市米代1−1−55 | ||
日新館は会津戦争で焼失したが、天文台が現存している。 なお、日新館の校舎や施設を復元した施設が、会津若松市河東町にある。 。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。 2013特別企画: 大河ドラマ『八重の桜』の現場を歩く 。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。 |
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山本覚馬、新島八重生誕の地 | ||
〜京都の近代化に貢献した山本家の生家跡〜 | ||
関連人物:山本覚馬・新島(山本)八重 | ||
所在地:福島県会津若松市米代2−1−23 | ||
八重の桜 綾瀬はるか 新島八重 山本八重 日新館で砲術師範の山本覚馬、とその妹八重の生まれ育った地。 2人とも砲術に優れ、会津城籠城戦では、松平照姫率いる婦女子軍の一員としてスペンサー銃を構え男勝りに応戦した。 戊辰戦争後は、後の八重の夫、新島穣とともに京都の近代化に貢献した。 現在では、個人邸宅の玄関脇に石碑が建立している。 。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。 2013特別企画: 大河ドラマ『八重の桜』の現場を歩く 。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。 |
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|日新館跡|天文台跡|山本覚馬・八重生家跡| |
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