幕末維新の現場を歩く <No.02 京都>
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| 幕末維新の現場を歩く>京都>黒谷町 | ||
| 黒谷町の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
| |金戒光明寺|会津藩殉職者墓地| | ||
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| 〜京都守護職会津藩本陣〜 | ||
| 関連人物:会津藩 | ||
| 所在地:京都府京都市左京区黒谷町121 | ||
1175年創建。浄土宗大本山の一つで「くろ谷さん」とも呼ばれている。 幕末期には、会津藩本陣がおかれ、京都守護職を任された会津藩士ら約1000名が常駐し、京都市中の警護を行っていた。 その後、薩摩藩、長州藩の連合に市中権力を握られ6年間で廃止となった。 |
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| 〜京都守護に尽力して殉職した会津藩士の墓地〜 | ||
| 関連人物:会津藩 | ||
| 所在地:京都府京都市左京区黒谷町29−2 | ||
会津9代藩主、松平容保が京都守護職に拝命され、多くの会津藩士が遠い京都へ赴任して京都守護に尽力した。 当時の京都市中では、人斬りや騒乱など物騒な治安状態であり、そこで命を落とした者も多かった。 また長州藩、薩摩藩連合に政権を奪取され、立場が逆転された会津藩は賊軍とされ、戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い)でも殉職した藩士らが祀られている。 京都守護で237名、蛤御門の変で22名、鳥羽伏見の戦いで115名の殉職した会津藩士が眠っている。 |
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