幕末維新の現場を歩く <No.02 京都>
京都御所 

幕末維新の現場を歩く京都京都御所
 
京都御所の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking 
 |紫宸殿王政復古の大号令小御所会議建礼門
▼ Home京都京都御所>紫宸殿▼
紫宸殿
 〜最高儀式の場〜
  関連人物:京都府京都市上京区京都御苑14
所在地:皇族

京都御所内で最も格式が高く、天皇即位式など最高儀式が開かれる。
1855年に建てられたもの。また庭には左近の桜、右近の橘が左右対称に植えられている。
 12  13
14 
▼ Home京都京都御所>御学問所▼  ▲このページのトップに戻る
御学問所
 〜「王政復古の大号令」が発せられた地〜
  関連人物:明治天皇・岩倉具視・薩摩藩・長州藩
所在地:京都府京都市上京区京都御苑

大政奉還後、岩倉具視(公家)・薩摩藩・長州藩らと、会津藩、紀州藩、親徳川派が政治的対立をしていた。
1863年1月3日の朝議の後、公家らの退出直後に、薩摩藩士により御所9門を封鎖し、御学問所にて明治天皇による「王政復古の大号令」が発せられた。これは徳川家を政界から撤退させ、天皇を中心とし、岩倉具視ら一部の公家と薩摩藩・長州藩らがリードする新政府を立ち上げたクーデターであった。
15  16 
▼ Home京都京都御所>小御所▼   ▲このページのトップに戻る
小御所
 〜徳川慶喜の辞官納地が決定した「小御所会議」の開催地〜
  関連人物:岩倉具視・山内容堂・松平春獄・西郷隆盛・大久保利通
所在地:京都府京都市上京区京都御苑

1868年1月3日に御学問所で発せられた「王政復古の大号令」を受けて、当日夕方から、新三職(総裁・議定・参与)による会議が小御所で開かれた。(小御所会議)
ここでは、徳川慶喜が将軍職、幕領地の返納を行う「辞官納地」についてが話し合われ、決議となった。

17  18 
▼ Home京都京都御所>建礼門▼   ▲このページのトップに戻る
建礼門
 〜御所正面入口の正門〜
  関連人物:新撰組
所在地:京都府京都市上京区京都御苑

八月十八日の政変の際、この建礼門の警備を担当したのは、壬生浪士隊、後の新撰組であった。
19  20 
 |紫宸殿王政復古の大号令小御所会議建礼門
京都幕末維新史跡地図 
 
 京都にある幕末維新の現場を歩く
 洛中 |京都御所|京都御苑(御所北側)京都御苑(今出川通)京都御苑(烏丸通)| 
  京都御苑 (丸太町通)京都御苑(御所南側)烏丸今出川寺町通河原町丸太町河原町御池
  三条通河原町通木屋町通西木屋町通先斗町二条城下立売通西本願寺東本願寺
  東 寺壬 生島 原
 洛西 花 園| 
 洛東 祇 園東 山京都霊山東山七条岡崎道黒谷町若王子町
 洛南 桃 山鳥 羽伏 見藤 森| 
 洛北 岩 倉| 
Home 幕末維新の現場を歩く migi top
会津東京関東・京都・高知山口福岡佐賀長崎熊本鹿児島  
maps_engine
jinbutu nenpyou
 
 Since2009
 Copyright(C) 幕末維新の現場を歩く All Rights Reserved
inserted by FC2 system