幕末維新の現場を歩く <No.01 東京>
皇居内堀
 
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江戸城跡
 〜江戸幕府260年間の本丸 〜
  関連人物:徳川家
所在地:東京都千代田区千代田1−3

徳川家康が江戸幕府を開いたときより約40年の歳月をかけて建城。その後の大火で一部消失するも、江戸幕府260年間の象徴であった。
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坂下門外の変
 〜攘夷派による老中、安藤信正暗殺未遂事件の地〜
  関連人物:安藤信正・水戸藩浪士
所在地:東京都千代田区皇居外苑2−1

老中安藤信正が坂下門外にて、反幕府尊皇攘夷派水戸藩士によって斬りつけられた事件。
安藤信正は、桜田門外で暗殺された井伊直弼の後継者で、公武合体政策(和宮降嫁)で幕府権力の維持を図る。斬り込んだ6名の水戸藩士は暗殺に失敗し、逆にその場で斬り殺された。
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東京にある幕末維新の現場を歩く
 東 京 皇居・皇居内堀・日本橋中央区日比谷紀尾井町霞ヶ関麻布赤坂虎ノ門芝公園
新橋神保町九段下築地両国江東区
 渋 谷  南青山六本木・千駄ヶ谷・渋谷代官山目黒世田谷大田区
 品 川  品川白金高輪三田お台場青物横丁東大井西大井
 上 野  上野上野桜木下谷浅草本郷春日南千住北千住綾瀬
 池 袋  護国寺東池袋巣鴨板橋高島平
 多 摩 日野高幡不動
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桜田門外の変
 〜安政の大獄に対する逆襲。井伊直弼暗殺事件〜
  関連人物:井伊直弼・水戸藩浪士  
所在地:東京都千代田区霞が関2−1−1

1860年3月、大老井伊直弼(彦根藩)が水戸浪士ら19名により暗殺された場所。開国派、井伊直弼が行った攘夷派の弾圧(安政の大獄)に対する逆襲暗殺事件。
幕府実権者の殺害事件は、幕府勢力弱体化が表面化して、以後の江戸幕府終焉の発端となった。
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会津藩上屋敷跡
 〜和田倉門内に構えた約9000坪の上屋敷跡〜
  関連人物:会津藩・松平容保(松平肥後守)
所在地:東京都千代田区皇居外苑3−1

現在の和田倉噴水公園あたりが、かつての会津藩上屋敷のあった場所。
東京駅丸の内口より皇居へ向けて真っ直ぐに延びる「行幸通り」の和田倉門交差点より堀と石垣に囲まれ、復元された和田倉門橋を渡って屋敷跡へ行くことができる。
和田倉噴水公園は、天皇陛下皇后の御成婚を記念して造られた公園で、ビル群に囲まれた噴水広場でレストランも併設され、都心のオアシスとなっている。
会津藩上屋敷では、3代藩主松平正容から9代藩主容保(かたもり)が、江戸での政務にあたった。
↑和田倉門橋を渡って和田倉噴水公園へ




      行幸通り「和田倉門」交差点より皇居を望む→
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一橋徳川家屋敷跡
 〜徳川水戸家より入った徳川慶喜の屋敷跡〜
  関連人物:一橋家・徳川慶喜
所在地:東京都千代田区大手町1−4−2

現在の内堀通りに面する丸紅本社から気象庁までの敷地がかつての一橋徳川家の屋敷跡。一橋家は御三卿に属し、水戸徳川家より入った徳川慶喜は15代徳川家将軍に就任した。

 ▲平川門より丸紅本社方面を望む ▲平川門 
 ▲丸紅本社前にある石碑  
 ▲一ツ橋より一橋御門の石垣を望む ▲気象庁、東京消防庁脇にある将門首塚 
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彦根藩上屋敷(井伊邸)跡
 〜桜田門外の変。ここから井伊直弼は登城〜
  関連人物:井伊直弼・彦根藩
所在地:東京都千代田区永田町1−1

彦根藩上屋敷跡。1858年に大老に就任した井伊直弼は、この屋敷より江戸城へ登城していた。
安政の大獄より攘夷派の弾圧を行ったが、その反発を受けて、同年3月3日、雪の降る中、登城途中の桜田門外で水戸浪士らに暗殺された。
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 東京幕末維新史跡地図
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岩倉具視東京邸宅跡跡
 〜岩倉具視の東京での活動拠点〜
  関連人物:岩倉具視
所在地:東京都千代田区皇居外苑

明治維新、東京遷都により岩倉具視は京都から東京へ政治の舞台を移しました。
東京での岩倉具視の邸宅は、かつての忍藩(現在の埼玉県行田市付近)の藩邸であった、松平下総守邸の跡地に構えました。
ここで日本の新しいカタチを創るため、新政府の中心人物として活躍しました。
古地図より、皇居外苑、馬場先門の北側付近一帯の松平下総守邸が示されている。
▲現在の馬場先門付近 ▲『御江戸大名小路絵図』より馬場先御門付近
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新橋神保町九段下築地両国江東区
 渋 谷 南青山六本木・千駄ヶ谷・渋谷代官山目黒世田谷大田区
 品 川 品川三田お台場青物横丁東大井西大井
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 池 袋 護国寺東池袋巣鴨板橋高島平    ▲このページのトップに戻る
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