幕末維新の現場を歩く <No.10 萩>
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幕末維新の現場を歩く>山口>萩>椿(萩市) | ||
椿(萩市)の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
椿(萩市)にある幕末維新の現場を歩く |
|大照院|毛利家墓所|萩の乱激戦地|涙松跡| |
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〜毛利家墓所〜 | ||
関連人物:毛利家 | ||
所在地:山口県萩市椿4132 | ||
歴代の毛利家の初代及ぶ偶数代藩主の墓所が、大照院にある。 大照院は初代藩主、毛利秀就を祀るために2代藩主綱広によって1656年に創建。 |
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〜偶数代の毛利家藩主墓所〜 | ||
関連人物:毛利家 | ||
所在地:山口県萩市椿4132 | ||
大照院の廟所に歴代の毛利家藩主とその夫人の墓所がある。 初代、2、4、6、8、10、12代毛利家藩主が眠る。 鳥居7基、石灯籠600基ほどの石造物で護られている。 萩市内の毛利家藩主の墓所は、天樹院(毛利輝元)、東光寺(奇数代藩主)、大照院(偶数代藩主)の3寺院に祀られている。 |
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〜「萩の乱」の激戦地〜 | ||
関連人物:前原一誠 |
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所在地:山口県萩市椿1015−14 | ||
明治9年に、新政府に不満をもつ士族らを率いた前原一誠が萩市内で反乱を起こした激戦地にこの慰霊碑が建つ。 新政府では徴兵制を推し進める木戸孝充、山縣有朋らに反発して、下野して萩に帰郷した。 萩の乱では、約40日間の萩市内での戦闘で、政府軍に敗れ、前原一誠は斬首刑となった。享年43歳。 |
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〜吉田松陰が故郷の別れを惜しむ〜 | ||
関連人物:吉田松陰 | ||
所在地:山口県萩市椿大字1055 | ||
萩往還で萩の町中から遠ざかると、このあたりの松並木から見える萩の町並みは最後のポイントとなる。 別れの涙を流すというので、「涙松」と呼ばれている。 吉田松陰が安政の大獄で江戸へ送検される際も、ここで別れを惜しんだ。 そのときの句 「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入(ひとしほ)ぬるる涙松かな」 |
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▲涙松跡より萩市内を望み別れを惜しんでみた。 |
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萩幕末維新史跡地図 | ||||||||||||||||
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