幕末維新の現場を歩く <No.11 熊本>
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幕末維新の現場を歩く>熊本>阿蘇・ミルクロード | ||
阿蘇・ミルクロードの幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
|二重峠の戦跡|旧豊後街道|内牧温泉街|滝室坂| |
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〜熊本平野から阿蘇外輪山を越える峠での激戦地〜 | ||
関連人物: |
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所在地:熊本県阿蘇市車帰 | ||
阿蘇山麓を走るミルクロード(県道339号)と県道23号が交差する付近に、西南の役戦跡碑が建っています。 この付近の二重峠(ふたえとうげ)も激戦地の一つです。 ここでは、薩軍が有利に戦を進め、政府軍の警視隊は現在の南阿蘇村方面へ敗走しました。 そして、会津藩出身の佐川官兵衛は南阿蘇村付近で戦死します。 |
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〜九州を縦断する参勤交代の旧道〜 | ||
関連人物:坂本龍馬・勝海舟 |
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所在地:熊本県阿蘇市車帰 | ||
ミルクロード沿いの二重峠戦跡碑よりミルクロードを北方へ進むと、「豊後街道 二重峠石畳」の案内看板があります。 この石畳の旧道はかつての豊後街道で、江戸時代、参勤交代のために整備された、大分と熊本を結ぶ街道です。この道は、阿蘇外輪山を越えるため非常に険しく、火山灰土で足下がぬかるんでいたために敷いた石畳が残っています。 また、幕末期には、勝海舟と門下生だった坂本龍馬が、この街道を歩き、長崎での四国艦隊砲撃事件の後始末などで行き来したと云われています。 |
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〜横井小楠を訪れた坂本龍馬らが滞在した温泉街〜 | ||
関連人物:坂本龍馬・勝海舟 |
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所在地:熊本県阿蘇市内牧267 | ||
幕末、混乱期に勝海舟、坂本龍馬らが、この豊後街道を歩き、熊本へ訪れた際、立ち寄ったとされるのが宿場町であった内牧宿です。 現在では、多くのホテルや旅館が建ち並び温泉街となっています。 写真の説明板は、阿蘇市立体育館前にあります。 |
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〜高低差の激しい難所での西南の役、激戦地〜 | ||
関連人物: |
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所在地:熊本県阿蘇市一の宮町坂梨 | ||
現在では国道57号として整備されていますが、かつての豊後街道でも難所の高低差の激しいところです。 西南の役では、滝室坂の下(梨坂方面)から攻める薩軍と、上から迎え撃つ官軍が撃ち合った激戦地でした。 ここでは、官軍が勝利しています。 |
▼国道57号 麓の梨坂より滝室坂方面を望む |
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▼滝室坂災害復旧 平成24年夏、豪雨災害により被災し、復旧工事中の様子です。 滝室坂の山肌崩壊により仮の橋で国道がかろうじて通行できる状況です。 |
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