幕末維新の現場を歩く <No.10 萩>
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幕末維新の現場を歩く>山口>萩>堀内 | ||
堀内(萩市)の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
堀内(萩市)にある幕末維新の現場を歩く |
|萩城跡|旧厚狭毛利家萩屋敷長屋|北の総門|毛利輝元墓所|旧明倫館跡|堀内鍵曲| |
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〜毛利輝元が指月山麓に築城した城跡〜 | ||
関連人物:毛利家・長州藩 | ||
所在地:山口萩市堀内500 | ||
長州藩初代藩主、毛利輝元によって、1604年築城。 これは、関ヶ原の合戦で敗軍となり、西軍の総大将、毛利輝元をこの地に移封する形となった。 指月山麓に築城された萩城は、1863年第13代藩主藩主、毛利敬親により藩庁を山口市に移すまでの江戸時代、長州藩の拠点としての役目を負った。 明治7年には廃城令により天守閣などの建物は全て解体され、現在では石垣、堀が残存し公園として整備されている。 |
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〜長さ51mの現存する長屋〜 | ||
関連人物:毛利家・長州藩 | ||
所在地:山口萩市堀内85−2 | ||
萩城跡大手門の前にある厚狭毛利家(長州藩主毛利氏の一門)の屋敷跡。 屋敷は取り壊され、長さ約51mの長屋が現存する。 |
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〜復元された日本最大級の高麗門〜 | ||
関連人物:毛利家・長州藩 | ||
所在地:山口萩市堀内369 | ||
北の総門は三の丸(堀内地区)に入る総門。 記念事業で高さ7mの日本最大級の高麗門を復元。 土塀も漆喰仕上げ立派な門である。 |
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〜長州藩祖、毛利輝元の墓所〜 | ||
関連人物:毛利家・毛利輝元 | ||
所在地:山口萩市127−9 | ||
毛利輝元は、初代毛利家藩主である。 1600年の関が原の戦いで、家康率いる東軍と、三成率いる西軍の総大将に任命された。 しかし、毛利軍は出陣することなく西軍が敗れたため、毛利輝元は所領は大厳封されたものの改易はなかった。 その後、萩城を築き居城した。 |
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〜移設前の藩校跡〜 | ||
関連人物:長州藩・吉田松陰 | ||
所在地:山口県萩市堀内158 | ||
5代藩主、毛利吉元が創設した藩校「明倫館」の跡地。 ここは初代の藩校跡地で、1849年に移設、拡張した。 ここで、当時11歳の吉田松陰が、13代藩主毛利敬親へ講義をしたと云われている。 |
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〜萩城下町の昔ながらの風情を残す町なみ〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:山口県萩市堀内96 | ||
城下町において、敵の侵入を防ぐために設けられたジグザグな通路。 土塀、白塀、石塀で囲まれ見通しが悪く、片手に地図があっても迷子になる。 また石塀の中の敷地にはみかん畑が多い。 |
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萩幕末維新史跡地図 | ||||||||||||||||
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