幕末維新の現場を歩く <No.11 佐賀>
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幕末維新の現場を歩く>佐賀>日新地区 | ||
日新地区(佐賀市)の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
日新地区(佐賀市)にある幕末維新の現場を歩く |
|護国神社|江藤新平生家跡|築地反射炉跡|多布施反射炉跡|江藤新平墓所| |
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〜政変事変による佐賀人の犠牲者を祀る〜 | ||
関連人物:鍋島直大・佐賀藩 | ||
所在地:佐賀県佐賀市川原町8−15 | ||
戊辰戦争で犠牲となった佐賀藩士を祀るため、11代藩主、鍋島直大によって明治3年創建。 その後の国内外戦争、政変による佐賀人の犠牲者を祀り、現在では35,000柱ほどが祀られている。 |
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〜佐賀七賢人のひとり、初代司法卿、江藤新平の誕生地〜 | ||
関連人物:江藤新平 | ||
所在地:佐賀県佐賀市八戸2−5−14 | ||
初代司法卿、江藤新平の生まれ育った地。 藩校弘道館で学び、尊王攘夷運動に加わっていく。 明治になって、要職を経て初代司法卿になり法整備にあたった。 しかし征韓論で敗れ下野すると、不平不満士族らを取りまとめ佐賀で反乱(佐賀の役)をおこす。 |
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〜日本で最初の鉄製大砲の鋳造地跡〜 | ||
関連人物:鍋島直正・佐賀藩 | ||
所在地:佐賀県佐賀市長瀬町9−15 | ||
佐賀藩第10代藩主、鍋島直正の命により建造された日本で最初の大砲鋳造の反射炉。現在の日新小学校の敷地あたり。 この反射炉建設は、鍋島直大がアヘン戦争による清への侵略を鑑みて、長崎防衛を藩の費用で強化を図ったもの。 |
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反射炉があったことを示すモニュメント類は、佐賀市立日新小学校の敷地内にある。見学するには特に学校への承諾は不要の様で、児童と同じ校門が入る。校門から自動車でも入校可能のようである。 しかし特に平日は児童、学校関係者への安全等の配慮は必要です。 またこの反射炉について学区では教育題材として取り上げているようで、下の写真のように、研究結果の新聞が掲示され、感心する。 |
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〜品川台場(東京)へ配備した大砲の鋳造地跡〜 | ||
関連人物:佐賀藩・鍋島直正 | ||
所在地:佐賀県佐賀市伊勢町16−18 | ||
ペリー来航に伴い、幕府により佐賀藩に大砲の鋳造が命令された。 佐賀藩は、築地反射炉での製造では追いつかないため、ここに多布施反射炉が築造され、大砲の鋳造にあたった。 江戸の品川台場に備えらた大砲はここ多布施反射炉で鋳造された大砲。 |
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〜江藤新平の墓所〜 | ||
関連人物:江藤新平 | ||
所在地:佐賀県佐賀市西田代1−4−6 | ||
佐賀市最大の日蓮宗寺である本行寺に江藤新平の墓所がある。 佐賀の役によって処刑された江藤新平はこの地に眠る。 |
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佐賀幕末維新史跡地図 | ||||||||||||||||||||
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