幕末維新の現場を歩く <No.03 関東>
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幕末維新の現場を歩く>関東>横浜 | ||
横浜の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
|生麦事件跡|神奈川砲台跡|割烹料亭「田中屋」|日米和親条約締結地|横浜港| |
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〜薩英戦争の発端となっとイギリス人殺傷事件〜 | ||
関連人物:薩摩藩・島津久光 | ||
所在地:神奈川県横浜市鶴見区生麦4−25−41 | ||
薩摩藩、島津久光が江戸から京都へ戻る途中で、イギリス人と行列がすれ違い、憤った藩士らにより死傷させた生麦事件の現場がこのあたり。イギリス人の一人、リチャードソンは馬に乗り逃げたが、約700m先でとどめを刺され死亡した。 この事件の賠償について薩摩藩と英国側は決裂し、薩英戦争と発展する。 |
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〜勝海舟設計の砲台跡〜 | ||
関連人物:勝海舟 | ||
所在地:神奈川県横浜市神奈川区神奈川1−3−2 | ||
外国船の襲撃に備え、勝海舟による設計による砲台跡。 東海道神奈川宿近くで、江戸湾に突き出し、埋め立てて造られた構造となっていた。その石垣の一部が現存されている。 その後周辺部も埋め立てられ、現在ではJR貨物に東高島駅の敷地となっている。 |
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〜坂本龍馬の妻「お龍」が仲居として勤めた、創業1863年の旅籠料亭〜 | ||
関連人物:坂本龍子 | ||
所在地:神奈川県横浜市神奈川区台町11−1 | ||
近江屋で坂本龍馬が暗殺された後、妻の「お龍」は、西郷隆盛の紹介により、この旅籠料亭で仲居として働く。 そして料亭の得意客と再婚し、横須賀へ移り住む。 またこの「田中家」はかつての東海道に面し、安藤広重の「東海道五拾三次・神奈川 台之景」にも「さくらや」(かつての屋号)として二階建ての茶屋として描かれている。 |
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▼【東海道五拾三次 神奈川 台之景(安藤広重)】 |
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〜鎖国を終わらせ日本が開国した地〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:神奈川県横浜市中区日本大通3 | ||
浦賀への来航1年後、1854年再び江戸湾へ回答を求め来港した。 そして、現在の開港資料館、開国広場付近に応接所を開設し、日米和親条約を締結した。 |
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〜開国から150年〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:神奈川県横浜市中区海岸通1丁目 | ||
日米和親条約により事実上開国してから150年。 外国人の来航以来、横浜は、日本の世界への出入り口となり、文化、風習、科学技術等がいち早く取り入られ発展を遂げた。 現在では横浜港の周りは、MM21などの高層ビル群と開国文化が残る赤レンガ倉庫など、歴史を楽しむ事ができる観光スポットでもある。 |
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