幕末維新の現場を歩く <No.06 長崎>
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幕末維新の現場を歩く>長崎>立山(長崎市) | ||
立山(長崎市)の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
|勝海舟寓居跡|沢村惣之丞墓所|いろは丸事件談判地|長崎奉行所立山役所跡| |
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勝海舟寓居地(本蓮寺) | ||
〜勝海舟の長崎での生活地〜 | ||
関連人物:勝海舟 | ||
所在地:長崎県長崎市筑後町2−10 | ||
開国派であった幕臣の勝海舟は、1855年より4年間、軍術や航海術を学ぶため、長崎海軍伝習所に通っていたとき、この本蓮寺を長崎での生活の場としていた。 |
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沢村惣之丞墓所(本蓮寺) | ||
〜土佐脱藩・海援隊士、沢村惣之丞が眠る〜 | ||
関連人物:沢村惣之丞 | ||
所在地:長崎県長崎市筑後町2−10 | ||
沢村惣之丞は亀山社中、海援隊の一員で、坂本龍馬の補佐役として活躍した。 龍馬暗殺後、倒幕の混乱から長崎奉行所西役所で警備中に、仲間の薩摩藩士、川端平助を誤殺してしまい、その責を負って海援隊本部のあった小曽根邸で自害した。1868年。享年26歳。 |
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いろは丸事件談判地(聖福寺) | ||
〜土佐藩、紀州藩のトップ会談による事件の談判が行われた地〜 | ||
関連人物:紀州藩・土佐藩・後藤象二郎 | ||
所在地:長崎県長崎市玉園町3−77 | ||
1867年に瀬戸内海で発生した海援隊が伊予大洲藩(愛媛)から借り上げた「いろは丸」が紀州藩船「明光丸」との衝突によって沈没した事件についての最終談判がおこなわれた場所。 土佐側からは土佐藩政、後藤象二郎、紀州側からは勘定奉行、茂田一次郎との両藩のトップの会談により、紀州側が賠償することが決議された。 |
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長崎奉行所立山役所跡 | ||
〜幕府の直轄地であった長崎の統治役所〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:長崎県長崎市立山1−1 | ||
江戸時代、長崎は出島での国内唯一の貿易地であったため、遠国奉行のひとつである長崎奉行所がここに1603年設置された。 幕末には1867年に発生した「イカルス号事件」(丸山町で英水兵2名が殺害された事件)では、海援隊にも事件関係が疑われ、坂本龍馬らが出頭し取り調べを受けるも、嫌疑を晴らしている。 |
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長崎にある幕末維新の現場を歩く | |||
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