幕末維新の現場を歩く <No.06 下関>
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新地町(下関市)の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
新地町(下関市)にある幕末維新の現場を歩く |
|高杉晋作終焉地|奇兵隊勝戦品(厳島神社)|長州藩士墓所(桜山神社)|長州藩内紛の地(了円寺)| |
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〜肺結核のため、大政奉還を見ずに世を去る〜 | ||
関連人物:高杉晋作 | ||
所在地:山口県下関市新地町3 | ||
高杉晋作は、第二次長州征伐、小倉口の戦いで、総指揮を執り、幕府軍に勝利をおさめたが、持病の肺結核が悪化。 下関の桜山神社付近で療養していたが、看病のため萩から正妻マサが訪れ、ここの林三九郎邸に移り住んだが、29歳の若さで、明治維新をみることなく息を引き取った。 |
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〜小倉口の戦いで、奇兵隊が持ち帰った小倉城の大太鼓〜 | ||
関連人物:奇兵隊 | ||
所在地:山口県下関市上新地町1−1−11 | ||
小倉口の戦いで勝利した長州藩奇兵隊が、小倉城から持ち帰った大太鼓が奉納されている。 |
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〜長州藩士391名の霊を祀る〜 | ||
関連人物:長州藩・吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞 | ||
所在地:山口県下関市上新地町2−6−22 | ||
境内裏に、幕末維新期の活躍とともに命を落とした長州藩士391名の霊が祀られている。正面には吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞の霊碑がある。 墓石の大きさはどれも同じで、命の平等さを尊重する思想が伺える。 |
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〜長州藩の恭順派との藩内闘争により、攘夷派が立てこもった寺〜 | ||
関連人物:高杉晋作 | ||
所在地:山口県下関町大平町10−20 | ||
八月十八日の政変より攘夷派の勢力が弱まると、長州藩内部からも、恭順派(反攘夷、佐幕派)が勢力が現れたため、内部闘争が発生した。 高杉晋作らの攘夷派は萩藩新地会所(萩本藩の出先機関・厳島神社付近)を襲撃した際、立てこもった寺である。 |