幕末維新の現場を歩く <No.06 長崎>
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幕末維新の現場を歩く>長崎>丸山町 | ||
丸山町(長崎市)の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
|高島秋帆邸宅跡|梅園身代り天満宮|丸山遊郭|料亭「花月」| |
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〜洋式砲術を学び、日本の軍事力を大きく発展〜 | ||
関連人物:高島秋帆 | ||
所在地:長崎県長崎市東小島町5−38 | ||
日本に西洋砲術を取り入れ、日本の軍備の近代化を図った高島秋帆の邸宅跡。 長崎で生まれ育ち、出島のオランダ商人よりオランダ語や西洋砲術を教わり、自ら武器を購入して学んだ。 アヘン戦争による清が敗れると、西洋列強の脅威を感じ、幕府へ軍備の近代化を提言した。 |
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〜丸山花街、遊女のゆかりの地〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:長崎県長崎市丸山町2−20 | ||
中の茶屋は江戸時代中期に築かれた庭園で、丸山の遊女屋「中の筑後屋」の茶屋。 梅園身代り天満宮は、丸山遊廓の二重門付近で脇腹を刺された人物が、体の傷跡がないのに自宅の祠の天神像の脇腹から血が流れ出ていたため「身代り」になったとして、祀られている。 |
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〜日本三大遊廓の一つ。幕末の志士たちも遊んだ長崎の花街〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:長崎県長崎市丸山町4−1(長崎検番) | ||
丸山遊廓は吉原(江戸)、島原(京都)とともに日本三大遊廓として、栄えた花街である。 現在も営業中の「長崎検番」など、花街の雰囲気を残す建物が点在する。 |
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↑見返り柳(花街の象徴) | ↑丸山二重門跡(現在の丸山町交番) |
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〜創業1642年の史跡料亭〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:長崎県長崎市丸山町2−1 | ||
花月は丸山遊廓の妓楼、引田屋の庭園内にあった亭の名前で、明治元年に焼失するも、再建され、現在では料亭として営業中である。 幕末期には外国人と諸藩士らの交流の場でもあった。昭和35年には県指定史跡となっている。 |
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