幕末維新の現場を歩く <No.06 下関>
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幕末維新の現場を歩く>山口>下関>唐戸(下関市) | ||
唐戸(下関市)の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
唐戸にある幕末維新の現場を歩く |
|下関条約締結地|坂本龍馬寓居跡|亀山砲台跡|大坂屋跡|末廣稲荷神社(赤間遊郭街)|唐戸市場| |
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〜日清戦争による清算、賠償等の条約締結地〜 | ||
関連人物:伊藤博文 | ||
所在地:山口県下関市阿弥陀寺町4-2 | ||
日本が日清戦争で勝利を治め、その終戦後、清国に対する賠償等を取り決めた条約は、現在の割烹料亭「春帆楼」で開かれた。日本側からは当時の内閣総理大臣、伊藤博文らが出席。 現在は料亭敷地内に条約締結に関わる資料展示の記念館が公開されている。 |
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〜坂本龍馬の長州での活動拠点〜 | ||
関連人物:坂本龍馬・坂本龍子・伊藤助太夫 | ||
所在地:山口県下関市阿弥陀寺町5 | ||
坂本龍馬が長州で活動していたときの住まい跡。豪商、伊藤助太夫の邸宅の一室「自然堂」を借りていた。 妻のお龍もここで生活しており、坂本龍馬が近江屋で暗殺された知らせはここで聞いた。 |
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〜下関米商船砲撃事件での第1砲が打たれた砲台跡〜 | ||
関連人物:長州藩・久坂玄瑞 | ||
所在地:山口県下関市中之町1−1 | ||
朝廷による攘夷決行ができなかったため、1863年、久坂玄瑞らが率いる浪士隊が米商船に向けて、この亀山砲台から火ぶたがきられた。 その後の四国連合艦隊の報復反撃時には、この砲台が高台にあるため砲身を下に向けなければならず、弾丸が転がり落ちるなどしたため、壇ノ浦や前田砲台に比べると砲撃力は劣っていた。 |
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〜坂本龍馬と伊藤博文が対談した地〜 | ||
関連人物:伊藤博文・坂本龍馬・桂小五郎・久坂玄瑞 | ||
所在地:山口県下関市赤間町6−2 | ||
大坂屋は下関界隈の最大の妓楼だった。 海運の拠点でもあるこのあたりは花街としてたいへん賑わっていた。現在は大坂屋跡地には下関第一ホテル東京が営業している。 1867年には、坂本龍馬と伊藤博文がここで密議をした記録が残っている。 この大坂屋には、桂小五郎、久坂玄瑞、井上馨、山縣有朋らも訪れていたという。 |
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〜幕末の志士たちも闊歩した遊郭〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:山口県下関市赤間町5−2 | ||
。 大坂屋、末廣稲荷神社があった赤間地区は、かつて物流拠点であることから、花街としてたいへん賑わっていた。また、幕末の各藩志士たちも政治談義を繰り広げていたように、文化、人脈交流の交差点のような地でもあった。 |
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〜関門海峡を本州側より一望〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:山口県下関市あるかぽーと | ||
この唐戸地区の国道9号沿いには、海響館(市立しものせき水族館)やカモンワーフ(ショッピングモール)や、新鮮な水産物の唐戸市場など見どころいっぱい。 |