幕末維新の現場を歩く <No.06 下関>
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壇ノ浦の幕末史跡、ゆかりの地を散策Walking | ||
壇ノ浦にある幕末維新の現場を歩く |
|壇ノ浦砲台跡|前田砲台跡|関門海峡|門司港| |
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壇ノ浦砲台跡 | ||
〜下関四国艦隊砲撃事件、第2次長州征伐での長州藩砲撃基地跡〜 | ||
関連人物:長州藩 | ||
所在地:山口県下関市みもすそ川町 | ||
【下関四国艦隊襲撃事件】 朝廷の攘夷決行期日が守れなかったことで、攘夷派の長州藩は、1863年、関門海峡と通る外国船をこの砲台から攻撃。その翌年に、米英仏蘭の連合艦隊17隻が報復襲撃。壇ノ浦砲台や前田砲台ともに破壊され、占領された。 このとき長州藩は西洋の軍事力に圧倒され、攘夷が困難であることを認識し、倒幕、開国を目指すきっかけとなった。 【第2次長州征伐・小倉口の戦い】 1866年から始まった二次長州征伐は長州を4方向から幕府軍が攻める戦いとなったが、兵数では圧倒的に少ないが、薩長同盟により軍備力増強した長州藩が勝利した。 |
▲壇ノ浦と言えばやっぱり「源平合戦」の「壇ノ浦の戦い」の方が有名?? |
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〜下関四国艦隊砲撃事件で、連合艦隊の上陸で占拠された砲台跡〜 | ||
関連人物:長州藩 | ||
所在地:山口県下関市前田1−7 | ||
下関四国艦隊襲撃事件により報復を受けた各砲台は、全て破壊された。 特に前田砲台は四国連合艦隊の上陸を許し、占拠されてしまった地である。 現在は、私有地の一部で、国道9号に面した砲台の一角のみ立ち入ることができる。 |
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〜本州と九州を隔てる海峡、海運の要所〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:関門海峡 | ||
関門海峡は本州と九州を隔てる海峡で、最短狭部は壇ノ浦付近で600m程である。海上輸送の要所であり、瀬戸内海の工業地帯と東アジア地区を運行する航路では、関門海峡を航行することは必要不可欠である。そのため大型貨物船がひっきりなしに行き来している。 「関門人道トンネル」は歩いても約15分ほどで本州と九州を行き来できる。自転車は片道20円。 |
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〜明治大正時代の雰囲気が残るレトロな街〜 | ||
関連人物: | ||
所在地:門司港駅界隈 | ||
門司港(福岡県)は関門海峡内にある九州側の港湾であるが、JR門司港の周辺には、明治大正時代に建てられたレンガ造りの建物が点在し、さらにJR門司港駅舎もネオルネッサンス洋式の木造建築でレトロな街並みを楽しめる。 |